歴史

敦賀赤レンガ倉庫を取り巻く時代と背景

敦賀市は、古くから大陸と日本の交流が日本海を介して行われてきた中で、天然の良港を有し、後背地に京阪神及び中京の2大都市圏が控える交通の要衝として発展してきました。

この立地を活かし日本海側で初めて敦賀-長浜間に鉄道が敷設されました。その後、敦賀-ウラジオストク間の直通定期船の就航と新橋-金ヶ崎間の欧亜国際連絡列車の運行により、わが国と大陸ヨーロッパをつなぐ国際都市となり、敦賀市の発展は「鉄道と港」とともにあったといえます。

金ヶ崎周辺地区は、定期就航船や欧亜国際連絡列車の発着拠点として発展を演出した舞台であるとともに、港まち敦賀を象徴する地区といえます。

明治40年ころの敦賀港の写真

明治40年ころの敦賀港

はるぴん丸の写真

はるぴん丸

敦賀赤レンガ倉庫の歴史と概要

第2期修築工事の竣工した敦賀港の写真

第2期修築工事の竣工した敦賀港(昭和8年7月)

敦賀赤レンガ倉庫は、明治38年にアメリカの石油会社「紐育(ニューヨーク)スタンダードカンパニー」によって建設された石油貯蔵用の倉庫です。欧亜国際連絡列車が発着する敦賀港駅からロシアを経てヨーロッパにつながる国際都市として敦賀が繁栄した時代、明治中期から昭和初期の敦賀港を象徴する施設となっています。外国人技師による設計といわれ、レンガはオランダから取り寄せて積み上げられたといわれており、柱の内側に壁を設け、内壁に柱のない空間になっているのが大きな特徴です。

途中、軍の備品倉庫や営業倉庫として使用されており、豪雪などに伴う修復工事も実施されています。

2009年1月に、北棟・南棟・煉瓦塀が国の登録有形文化財に登録されました。

2012年に市が金ヶ崎周辺地区の整備方針となる「金ヶ崎周辺整備構想」をまとめ、その先導プロジェクトとして「赤レンガ倉庫整備計画」が2014年に策定されました。

2015年に建物の補強・修復工事が完了し、北棟が「ジオラマ館」、南棟が「レストラン館」として、同年10月14日(鉄道の日)に開館となります。

敦賀赤レンガ倉庫の歴史

明治38年(1905年)
紐育(ニューヨーク)スタンダードカンパニーが石油貯蔵用倉庫として建設
昭和15年(1940年)
紐育(ニューヨーク)スタンダードカンパニーが敦賀からの撤退に伴い倉庫を売却
昭和19年(1944年)
一時、軍の備品倉庫として使用
昭和26年(1951年)
現ヤマトタカハシ株式会社が営業倉庫として赤レンガ倉庫を購入
昭和56年(1981年)
豪雪により、倉庫屋根が一部崩壊し、修復工事を実施
昭和58年(1983年)
屋根のふきかえ工事を実施
平成15年(2003年)
日本原子力発電株式会社がヤマトタカハシ株式会社より購入し、敦賀市へ寄附
平成21年(2009年)
国の登録有形文化財に登録
平成23年(2011年)
第1回金ヶ崎周辺整備構想策定委員会開催(赤レンガ倉庫の利活用も検討開始)
平成24年(2012年)
「金ヶ崎周辺整備構想」を策定
平成26年(2014年)
「赤レンガ倉庫整備計画」を策定
平成27年(2015年)
北棟が「ジオラマ館」、南棟が「レストラン館」となり、オープンガーデンを併設した「敦賀赤レンガ」として10月14日オープン予定

※写真は「ふるさと敦賀の回想」より

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